以前、私がある自動車ディーラーで研修講師をした時のことです。各店舗から新車の販売台数が低迷している営業マンだけを十数名集めて集合研修を行いました。研修終了後にアンケートを書いてもらったのですが、その中の「自分の一番弱いところはどこだと思いますか?」という質問に、「お客さまと商談しても毎回決まらない自分の商談スキル」と書いた営業マンがいました。
書いた社員は研修中に記憶のある営業マンでした。これまでに店長や販売課長から、かなり言われ続けてきたことが顔に出ていました。自信を無くし惰性で来ているような、見ていて、いつか辞めるなと感じた営業マンでした。でも研修中は人の話をきちんと聞き、終始真摯な態度で研修を受けていました。一度コンタクトしたほうが良いと考え、後日、アポイントを取り、私は彼と2人で商談ロープレを行ったのです。
まずは、私が営業マン役となり、彼がお客さま役です。まとめておいたロープレポイント一覧表を事前にメールしておきました。一通り商談ロープレが終わると役を交替しました。私がお客様役で彼が営業マンです。1回目で、営業マンとしてきちんとした姿勢だったこと、適度なアイコンタクトができていたこと、話す速さがちょうど良かったことをフィードバックして彼を「肯定」しました。
2回目は、笑顔が維持できていたこと、お客さまに質問ができていたこと、お客さまの話を最後まで傾聴できていたこと、お連れの方に気遣いができていたこと、全体的に好感度が持てたことをフィードバックし彼を「肯定」しました。この日は3回商談ロープレを行い、彼の「できたこと」を、すべて「肯定」しました。
私は、このマンツーマンのロープレで、彼の弱い点を全部直そうとは最初から考えていませんでした。このロープレ補講の狙いは別のところにありました。それは唯一、彼の「劣等感を減少」させるという一点でした。だから、3回のロープレの中で良いところだけを見つけてことさら肯定したのです。
終了後に「今どんな感じ?」と尋ねたところ、「ちょっと自信がついた感じです」と答えました。私は彼に「次の週末フェアから今の感じで商談すれば十分OK!」と伝えました。後日、電話したところ、「ご来場されたお客さまから1件ホットが出ました」と返ってきました。すかさず「やったね!やればできるね」と思った通りを伝えました。
彼は、最初の私との1対1のロープレの時、私からダメ出しが、山ほど出るものと思っていたと思います。ところが「嫌いなもの(ダメ出し)」を貰うことはなく、「欲しいもの(肯定)」ばかりを貰うことができたことに「安心」してロープレができたと思います。私から「存在肯定」と「行為肯定」を何回も貰ったのです。良かった点を次々と肯定することで、彼の中に小さな成功体験が生まれ、彼なりの自信が醸成されて営業所に帰って行ったのです。
基本的に人間性に問題が無く、要領が悪いとか、少し鈍くさいという程度であれば、その人は上司の継続的支援によって必ず変わります。例えば、上司の期待通りに部下が実行できなかった場合、ポイントとなるのは、期待外れだった部下に対する上司からの「言動」です。目標未達だったということのみにフォーカスして、ことあるごとに告げていると、部下は「俺はできないダメ人間だ」という感情が蓄積していきます。
部下ができないことや欠けていることに視点をフォーカスし、ことあるごとに本人に恫喝したり告げている、上司がそう言っているのを見て聞いて周囲の人間もそのような目で見るようになる、すると、本人は、自分のできないところや欠けていることを意識せざるを得ない心理になってしまいます。そして、恐ろしいことに本当のダメ人間になってしまうのです。心理学では、これを「マイナス暗示効果」といっています。
大事なことは、部下が期待通りの結果を出せなかった時の上司の「言動」にあります。できなかったことを追求するのではなく、結果を事実として客観的にとらえ、何故できなかったのか? どうすればできるようになるのか? について部下と一緒になって考えていく「言動」を選ぶことです。
「何年営業をやってきてるんだ」、「大人なんだから自分でなんとかしろ」と突き放してしまうのは、そもそも上司としての役割を放棄していると私は考えています。
突き放してはいけないのが部下の場合です。逆に、突き放されても仕方ないのが管理職の場合でしょう。但し、恐怖による突き放しというのはダメです。極めて短期的な効果しか得られないからです。私自身も昔サラリーマンだった頃に、会社から与えられた月次目標を達成できないことが度々ありました。すると、営業会議の中で、目標未達の者として全員の前で、今月の反省を表明します。次に来月の目標達成の意気込みを表明するのです。恥をかきたくなければ必達せよということです。私にとっては営業会議の日は恐怖の朝でした。さすがに、今ではこんなことは行っていませんが、当時では、ごく当たり前の光景でした。
今や時代は完全に変わっています。部下にアドバイスを伝える時でも、高いところからの目線ではなく、成長してほしいと心から思っていることを相手に感じさせ、一緒に同じ方向を向いて努力していく、そして、ほんのわずかな上達をしっかり肯定していく姿勢が大切です。これで部下は「この人は敵ではない」と感じます。「上司が僕のことを心配してくれている」「僕を成長させようと本気で思っている」「自分のことをわかろうと努力してくれている」、こう思えることが本人にとっては、とても大きな勇気につながるのです。もう一度頑張ってみようという動機づけになるのです。
どこの職場でもいる少し鈍くさい部下が、一人前になるまでには「積算温度」が必要であると私は考えています。「積算温度」とは、例えば、花が開花するまでに日々の温度変化を積み重ねていき、ある一定の蓄積温度数を超えると一斉に「咲き始める」というものです。
花によって「積算温度」が異なるように、人にも「積算温度」があり、低い人と高い人がいると私は考えています。その意味では、上司は一人ひとりを良く観察していくことが必要です。個々人の「積算温度」が、低いのか高いのかを見分けていくことが大切です。先の営業マンも「積算温度」でいえば、他の営業マンよりも高い蓄積温度が必要な人だったのです。
頭から、「こいつはダメな奴だ」「教えてもどうせムダだろう」と、心で思いながらアドバイスしていても効果が出ることはまずありません。いつも上司からダメ出しを出されている人は、相手が何を思っているのか、自分をどう思っているかを瞬時に感じ取ることができます。
自分に対して否定的な考えであることがわかると、一刻も早く「ここから離れたい」という気持ちが先行してしまいます。こんな状態でアドバイスしても効果が出ることはありません。一方、上司側は、アドバイスしてやったのに、という期待感だけが残ります。そしてその期待感が裏切られることで、さらに上司は部下に怒りをぶつけることになるのです。
普段の職場では、上司も部下一人ひとりの指導まではなかなかできないものです。「大人なんだから自分でやれ」、「できないのは努力が足りないからだ」というのが基本スタンスだからです。
確かに本人の自立を促すのは必要です。しかし、何度も注意やアドバイスを受けているにもかかわらず、特に怠けているわけでもないのに低迷から抜け出せないという部下に対しては、ここまで行う必要があると私は思います。
部下の問題点を完全に無くすというのではありません。部下が一生懸命に考えていく時に、どうすれば良い方向に向かうかを一緒に考え、支援する立場になれば良いのです。成長の基本は、部下が自分で悩み考えていかなければならないからです。上司は側面支援に徹底すれば良いのです。この上司からの協力によって、見事に自信を取り戻す人間が実際に出てくるからです。
まずは、できないことを追求するのではなく、上司の側からオープンマインドで、「君に成長してほしいと心から思っている」という気持ちを素直に言葉で伝えていくことがスタートになると私は考えます。